夏の休暇を利用して、島根県の隠岐へ行くことにした。隠岐といっても、歴史の授業で後鳥羽上皇や後醍醐天皇が島流しで送れられた地という程度の知識しかなかった。一緒に行く
ビアハールディスコスの亘氏の友人S女氏が、隠岐の中ノ島で持続可能な社会モデルの構築を目指して
会社を経営している縁で行ってみようと話になったのだ。こうして未知の島への冒険が始まった。
羽田から米子へ飛行機で飛ぶ。米子空港からバスにて七類港へ移動。隠岐へは、一日数便フェリーと高速船が出ている。レインボーという高速船に乗り1時間程度で目的地の中ノ島に到着した。

隠岐は大きく分けてやや本州よりの島前(とうぜん)とそれより北に位置する島後(とうご)に別れている。今回は島前の中ノ島と西ノ島を巡ることにしていた。最初に到着した中ノ島のことを、地元の人は海の士(さむらい)と書いて海士(アマ)と呼んでいる。海士の菱浦港に到着するとS女氏らが出迎えてくれた。通りかかった地元の高校生や
キンニャモニャセンターと呼ばれる観光局のスタッフの方を紹介して頂いた。人と人の繋がりを大事にする海士文化を感じた。そして、観光局のA氏の友人S氏が東京から来ているとのことで、BBQに誘ってもらった。島に到着して1時間足らずで、島コミュニティーに入れてもらえたことに、大感動。観光局A氏の家の庭先で、島の新鮮な魚介類と野菜を使ったBBQが始まった。

BBQには、島に住む他の同じ歳頃の人たちが加わり、大いに盛り上がった。話を聞くと彼らは東京や関西からIターンをしていた。途中、地元の方が大きな魚を差し入れてくれて、島の魅力の一つをかいま見た気がした。BBQの後は、港の埠頭で、花火をする。墨汁のような黒い海に、花火の赤や緑が反射して綺麗だった。締めは定番の線香花火。夏の匂いがする。海に飛び込む罰ゲーム付きで、誰の花火が最後までもつか競争をする。私と東京か来たS氏の花火が、あっというまに落ちた。勝負の神様もキャラで選んだような結果。いきおいつけて飛び込ませてもらいました。みんな大笑い。BBQと花火。夏のハイライトのような一日を、旅の初日に経験できた。旅の続きに期待が膨らむ。
S女氏の会社に勤めるN氏とA氏の家に泊めてもらった。庭先の畑で、トマトと茄子を収穫。海士のお米と具沢山のみそ汁の朝ご飯をごちそうになる。朝からしっかりと美味しいご飯なんて、久しぶりだった。体が喜ぶ喜ぶ。朝はこうあるべきと思いました。感謝です。その後、S女氏の会社で車を借りた。バスの便数が少ないので、重宝する。さっそく昨日BBQで知り合った
K氏らが、島のキャンプ場の草刈りをやっているとのことで、手伝いをすることにした。到着すると草刈りの目処はついていたが、小さな入り江に面する斜面には、漂着物と牛のフンが散乱していた。簡単に拾えそうな漂着物と牛フンをシャベルで撤去することにした。ここの牛は草を食べているため、全然臭くなかった。フン拾いする横で、新たに落としものをしていく牛たちに、めげずに掃除をした。一仕事に後、特産の
隠岐牛を扱う隠岐牛亭にて、焼き肉定食を食べる。さっきの手伝いで、自然の中で放牧されて育ったことがよくわかっただけに、味は格別だった。ビールも旨い。その後、S女氏より町の産業創出課に務めるY氏を紹介頂く。S女氏もY氏も海士町を盛り上げようと、目を輝かせて、自らの活動の話をしてくれた。

こうやって自分の住む地域を愛して、盛り上げて行こうという姿勢を、東京で感じたことはないので、非常に新鮮だった。やや日も傾いて来たところで、キャンプをする明屋海岸へ向った。蒼い海が目の前に広がる気持ちのよいところだ。シュノーケリングをしてみる。水は透明で、岩の周りには魚が気持良さそうに泳いでいた。海藻が森の木のように揺れていて、綺麗だった。南国とも違う豊かな海だった。夜はN氏とA氏と割烹料理屋へ向う。すると、海士町の町長と遭遇。N氏、A氏も日頃からお世話になっているようで、挨拶をすると、ビールをごちそうになった。民間出身の
町長は、大変気さくな方で、今度の選挙は海士町長に一票いれたくなった。海士の若者を引き寄せる改革もこの町長の手腕によるところが大きいそうだ。
翌朝は、日の出とともに目が覚めた。テントから這い出て、海の上に登る太陽を眺めた。漁船が途中を横切り、島の朝が始まる。

今朝は、一家で漁を営む、地元の漁師の方のお手伝いをさせて頂く。亘氏とS女氏と港に着くと、男衆が定置網を引き上げて来たところだった。その網から魚を外していくのが、最初の手伝いだった。一家のお母さんとおばあちゃんが手際よく魚を外している。見よう見物でやってみるも、網に絡まった魚は思うようにとれない。おばあちゃんが優しく手ほどきをしてくれた。本当にお世話かけっぱなし。その後、場所を移して、魚の仕訳と出荷の準備を行う。発砲スチロールに氷を詰めて、手際よく魚を選別し、詰めて行く。魚を詰めた箱を冷凍庫に持って行くと汗が冷えて気持よかった。ここでわかったことは、市場に回る魚は、捕れた魚のごく一部で、流通しない魚、網で傷ついた魚は、自家消費に回る。少しでも曲がった野菜が出荷できない話を聞いたことがあるが、漁業でも同じような状況だと思った。東京では何気なく野菜や魚を食べているが、農家さん、漁師さんへの感謝の気持を忘れてはいけない。昼過ぎには、島の教育委員会で働くためIターンした
岩本悠さんの取材を行った。岩本さんは旅の記録を本にまとめ、その収益でアフガンに学校を建てた経歴を持つ。あとで、著書を読んだが、とにかくすごい旅をしている人だ。自分も
この本を読んでから旅をしたら、また別の経験が出来たと思った。岩本さんについては、旅スマイル10号で詳しく紹介することとする。取材後、観光局に行くと、島の若者たちが集結していた。そこで、5月にこの島の高校で教育研修の講師をした大学生D氏とH女氏を紹介された。彼らも明屋キャンプ場に泊まるようで、あとでみんなで夕食を食べようとの話になった。こうやって、すぐに楽しい企画が出来上がって行くのが、海士のいいところだ。しばらく亘と島の行っていない場所を開拓しようとドライブにでる。途中、リアカーを引きながら旅するジョニさんという方と遭遇。アップダウンの激しい島だけに、苦労もあるが、リアカーの効果は十分のようで、島の方たちに大変良くしてもらっているようだった。また、プライベートビーチ状態の多井海水浴場と風呂屋海水浴場を堪能。海の楽しさは、明屋が一番だ。夜は、島の若い衆でワイワイと夕食会。朝、漁師さんから沢山魚を頂いていたので、天ぷら、塩焼き、刺身と贅沢なごちそうたちに舌鼓を打った。みんなで美味しい美味しいと食べる夕食は大好きだ。

3日目は、みんなでシーカヤックに挑戦。海岸沿いを亘と冒険。途中、岸壁から飛び込んだり、自然のトンネルを探検した。かなりの距離を移動でき、楽しい経験ができた。昼過ぎは、中ノ島(海士)を後にして、西ノ島へ向う船に乗る。出会ったみんなが見送りに来てくれた。たったの3日なのに、海士から離れるのは、すごく寂しかった。それだけの出会いを与えてくれた海士にみんなに大感謝である。

4日目は、西ノ島の絶景地、国賀海岸を散策する。海に面して切り立った崖の上に、草原が広がる場所で、一番高い摩天崖は200mを超える高さを誇る。早朝一番に出かけたので、私たち以外の姿はなく絶景を独り占めできた。おすすめのハイキングコースです。

10時過ぎの便で、西ノ島を出て、本州の境港へ向う。チケットに本土行きと書かれているあたりが、島を出る実感を与えた。
東京到着の次の日は、湘南にてM女氏と
サーフィン教室へ通った。何かと海な休日だ。最終日は、兄がカタールから一時帰国中で、久々に家族みんなでビアガーデンで飲んだ。ああ、フルに楽しんだ休日だった。時間が出来た所で、もう少し加筆したいと思っている。明日からはシャバでがんばるぞ。